鹿児島

2008年09月13日

【戦国島津】東福寺城跡

57b75ef0.JPGこれは現在の東郷平八郎の銅像がある多賀山にあります。南北朝時代には肝付軍と島津軍の激戦地だったとか。

c309e682.JPG0eedf5e4.JPGその後も山城として利用されていたらしいです。島津義久がこの地に、多賀神社を建立した後は多賀山と呼ばれるようになったとか。 現在も多賀神社はあるようです。今回はいけずじまいでした。探してみたいと思います。



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2008年09月07日

【戦国島津】島津家久(忠恒)の墓

b5666c8d.JPGなんとなく家久公の墓って…撮影した記憶がないなぁ〜と思っていたら、福昌寺跡の戦国コーナーにはないことを現地で知りました!

三年近く気づかなかった…

久光公より奥まっていましたが、さすが初代薩摩藩主ということで高い場所にありました。

それにしても、貴久公、義久公、義弘公、久保公より、歳久公の墓は少し地味なのに、若干高い場所にあるのはなぜでしょう?気になりました。



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2008年09月06日

【戦国島津】阿多長寿院盛敦の墓

48ab1aeb.JPG小説「島津義久」で有名な桐野作人先生のブログで、「福昌寺跡に阿多長寿院盛敦の墓があった」という記事をみて以来、ずっと気になっていました。

場所は由縁墓の奥、横山安武の墓の一列手前でした! 「阿多長壽院之墓」以外には他に読める文字は見あたりませんでした。



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2007年12月02日

【戦国島津】忠元神社(鹿児島・大口市)

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新納忠元を祀る神社で、忠元公園内にあります。 桜の時期は桜のトンネルが見事です。

今日の南日本新聞に載ったらしいですが、ただいま紅葉の見頃です! 薩摩の猛将、辺見十郎太がここから4尺以上もある太刀を持ち出したとか。130cm以上もあるから、実戦に使える人は限られたでしょう〜身長が180cm以上あり、自顕流の剣の使い手だったらしい。なかなかカッコいい!



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【戦国島津】下手公民館(鹿児島・鶴田町下手)

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鶴田氏らの墓石を下手公民館脇に集めてあります。

私の持っている資料によると、こちらにも歳久公ゆかりの石碑らしきものがあるとありましたから、見に行きました。

手元に資料がなかったので、おそらくこの2つじゃないかと。また確認します。六地蔵塔や、祠に丸い石が入っているものでした。

戦国島津家の特徴は、戦の後に敵味方関係なく慰霊のために六地蔵塔を建てたことです。 赤十字社の考えを今から400年以上も前に、しかも戦国時代に持っていたことは驚きです。 六地蔵塔前には花が供えられていたこともあり、確信はないですが、これではないかと…

 また、丸い石については、大石神社だったと思うのですが、出産を控えた妊婦さんは石を御守りとして身につけていたのだとか。境内の石だったかは不明。 歳久公に安産祈願したら、娘も元気に生まれました。御利益はあると思います(^-^)/



john96pierre at 16:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

【戦国島津】大石神社(鹿児島・鶴田町)

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鶴田町を走っていて、観光案内板を見てみると意外に大石神社が近いことが判明。急遽行くことに。

大石神社は島津義久公・義弘公に次ぐ三男、島津歳久公を祀る神社です。 秀吉に弓引いたということで竜ヶ水で自刃をしますが、そのとき半身不随の身で石を用いて切腹。切腹のさいに、妊婦の出産もこのように痛むのかと案じたことから、別名御石様と呼ばれ安産の神様でもあります。

こちらは御石がなまって大石神社になった模様。 鹿児島ではかつて、歳久公の遺徳を偲ぶ心岳寺詣りというものが行われ賑わったそうです。

b54fa003.JPG*注目!

中津川小学校に向かい、さらに大石神社の矢印にそってはしると、このような建物が左側き。その側にある橋は「金吾橋」。歳久公は金吾様とも呼ばれてます。橋を渡り坂を上れば大石神社。



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【戦国島津】梅君ヶ城跡周辺(鹿児島・鶴田町)

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今回も見つけることはできませんでした。 鶴田小学校の東側に平松神社があるらしく、かつて島津歳久公の妻「梅」さんの居城だったそうです。 ずっと鶴田小学校周りをぐるぐる回ってみましたが…発見できず。 お分かりになるかたがいらっしゃれば情報お待ちしています。


john96pierre at 03:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

2007年10月14日

戦国島津ゆかりの地めぐりの旅〜串木野・川内編〜

【コース】東市来駅 → 串木野城跡・長谷場純孝生誕地 → 南方神社久見崎軍港跡慶長の役記念碑 →  川内戦国村 → → 川内市歴史資料館泰平寺 → みその食堂 → 長谷場純孝胸像 → 丹後局墓参拝 → 解散 → 徳重神社伊集院駅 → 自宅

 

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2007年09月20日

隼人塚(霧島市・隼人町)

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西暦720年、時の中央政府の大和朝廷が薩摩の隼人族の征伐にやってきました。一万の軍勢で反乱軍を制圧し、1400人以上の虐殺がこの地で行われました。

時代が下っていっても、日照りや干ばつ、疫病の発生が起きる度に【隼人族】たちの怨念だと恐れられていたようです。

 

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隼人の乱から約400年、今から約850年ほど前に隼人族を慰霊するために作られたとされています。墓ではないそうです。

現在も鹿児島神宮が【浜下り】と呼ぶ慰霊祭を毎年10月に続けています。



john96pierre at 19:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

2007年09月06日

月照(鹿児島市・南林寺町)

08feb27b.JPG幕末の勤王の志士、月照の像です。 当時の徳川幕府からみれば勤王派は【倒幕のテロリスト】ですので、安政の大獄で勤王狩りをしてました。

京都清水寺の坊さんで、身の危険を案じた西郷隆盛が薩摩藩で匿ってもらうつもりで連れてきました。時は島津斉彬ではなく久光が実権を握ってました。久光は幕府寄りだから、月照は邪魔モノ。 西郷に追放を命じますが、殺害せよという意味でした。西郷は責任を感じてからか、共に錦江湾に入水しますが月照だけが亡くなってしまいました。

こちらは照国神社から伸びる国道225号線ですか、ジュンク堂、三越を越えドコモショップを過ぎたあたりにある「南洲寺」内にあります。

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john96pierre at 12:51|PermalinkComments(1)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
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