戦国

2008年12月27日

【目次】 戦国島津ゆかりの地めぐりの旅シリーズ

ライフワークである史跡めぐり。歩くきっかけにもなるので、出不精の私にとっては健康管理にも役に立っています。結婚してからはなるべく低予算で遊べるコースを模索しています。

以下、戦国島津氏ゆかりの地めぐりのコースを紹介。
こちらの【カゴシマニア】に書き込んだもの です。初回は2005年の8月でした。早4年目に突入。

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2008年09月14日

【展覧会】黒田長政と二十四騎展

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49e3294a.JPG福岡市博物館で9/12から開催中。 西鉄天神駅からバスに乗り込めば、ほとんど歩かずに到着!

黒田如水・長政と家臣団の絵画、資料が満載です。200点近くあり、じっくり見ていたらあっという間に時間が過ぎていきました♪質・量ともにかなりレベルが高いです。

黒田如水の兜は赤いお椀を引っくり返したような、なんかコミカルな作りです。秀吉が「自分亡き後、天下をとるのは黒田官兵衛だ」と言うほどの実力者だから、この兜をみて恐れられたとか。

今回の一番見たかった大阪夏の陣の屏風はありませんでしたが、「黒田節」で歌われた母里太兵衛の肖像画、甲冑、そして名槍「日本号」が間近で見られたのは感激でした! この「日本号」は元は、秀吉から福島正則に与えられたもので、刃の部分だけで70センチを超えるもので大柄です。柄の部分も貝細工が施され、美しい!これが入り口近くにいきなり展示されていて、ハートを鷲掴みされました!一見の価値ありです。

福島正則から大きな杯になみなみと酒を注がれ、飲み干したら「日本号」を与えると言われ、見事飲みとったというのがあの歌です。

黒田長政の関ヶ原でかぶっていたというあの兜。源平合戦で源義経が一の谷で見せた崖を駆け下り、平家を奇襲した逸話からきていることは知ってました。なにせあの巨大な飾り、さぞかし重たかっただろうに…と思っていたら、桧(ひのき)でできているらしい〜。おまけに元々は、竹中半兵衛から譲り受けたものだとか。

 黒田長政の家臣団24名の絵にもドラマがありました。江戸時代、先祖を顕彰しようという動きがあったらしく、それが徐々に神格化されていきます。 語り継がれていくうちに、正しくない表現がされたので、子孫から資料を集めたり、伝説を検証しながら忠実な絵に仕上げたそうです。

 あまりによかったので図録まで買ってしまいました。 福岡に来ることがあれば、【戦国島津シリーズ】の次は【黒田長政と二十四騎シリーズ】で散策したいです。



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2008年09月13日

【戦国島津】東福寺城跡

57b75ef0.JPGこれは現在の東郷平八郎の銅像がある多賀山にあります。南北朝時代には肝付軍と島津軍の激戦地だったとか。

c309e682.JPG0eedf5e4.JPGその後も山城として利用されていたらしいです。島津義久がこの地に、多賀神社を建立した後は多賀山と呼ばれるようになったとか。 現在も多賀神社はあるようです。今回はいけずじまいでした。探してみたいと思います。



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2008年09月07日

【戦国島津】島津家久(忠恒)の墓

b5666c8d.JPGなんとなく家久公の墓って…撮影した記憶がないなぁ〜と思っていたら、福昌寺跡の戦国コーナーにはないことを現地で知りました!

三年近く気づかなかった…

久光公より奥まっていましたが、さすが初代薩摩藩主ということで高い場所にありました。

それにしても、貴久公、義久公、義弘公、久保公より、歳久公の墓は少し地味なのに、若干高い場所にあるのはなぜでしょう?気になりました。



john96pierre at 02:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

2008年09月06日

【戦国島津】阿多長寿院盛敦の墓

48ab1aeb.JPG小説「島津義久」で有名な桐野作人先生のブログで、「福昌寺跡に阿多長寿院盛敦の墓があった」という記事をみて以来、ずっと気になっていました。

場所は由縁墓の奥、横山安武の墓の一列手前でした! 「阿多長壽院之墓」以外には他に読める文字は見あたりませんでした。



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2008年05月05日

【銅像】ザビエルと家老ミゲル

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4月26日に鶴丸小学校となりに完成しました♪てっきり5月26日にセレモニーがあると思ってましたが…

ザビエルが薩摩から布教のときに10日ほど滞在したらしい。70人の信者がいたそうで、やはりカリスマです。 当時の市来鶴丸城家老がミゲル(洗礼名)が城に案内し城主、新納康久らも洗礼したらしいです。

大口地頭であった新納忠元とどういう関係にあるかは、まだよくわかりません。しかし、関ヶ原の戦いでも参戦した新納旅庵の父親だと言うことです。

カゴシマニア



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2008年04月02日

【戦国島津】平佐城跡(川内市)

平佐城跡こちらは天正15年、秀吉の九州征伐の際に、鹿児島で唯一最後まで抵抗した場所と三木靖先生が言われてました。

秀吉は川を挟んで泰平寺に布陣。
水軍は猫岳・安養寺丘などに陣を置き、小西行長、脇阪安治、九鬼義隆ら八千の兵が押し寄せたらしい。

こちら島津軍は現在の平佐西小学校周辺が二の丸、JR薩摩川内駅が三の丸にあたる平佐城に布陣。女の人も参陣し、熱い粥や灰を攻めかかる兵士等にかけて抗戦したと石碑に書いてありました。

平佐西小学校島津軍は300名程度で午前八時から午後四時まで守りきったそうです。まだ城主である桂忠掘覆つらただあき)は戦う意志はあったらしいですが、義久が降伏(和睦)することを決定していて、諭して開城したそうです。

現在はほとんど住宅地に造成されており、跡形もないそうです…

川内川をみると、川内駐屯地の自衛隊の方々がボートこぎを練習してました!さなから九鬼水軍!という感じ。



 

川内川三枚目の写真の左下に小さく写ってます。

平佐城についてはコチラがオススメ。



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2007年10月14日

戦国島津ゆかりの地めぐりの旅〜串木野・川内編〜

【コース】東市来駅 → 串木野城跡・長谷場純孝生誕地 → 南方神社久見崎軍港跡慶長の役記念碑 →  川内戦国村 → → 川内市歴史資料館泰平寺 → みその食堂 → 長谷場純孝胸像 → 丹後局墓参拝 → 解散 → 徳重神社伊集院駅 → 自宅

 

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2007年10月10日

【戦国島津】山神の響炎

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2007/10/8 

関ヶ原の戦いで島津義弘公の身代わりとなって散った島津豊久公やその家臣らを祀る祭りとして今年で5年目のようです。

田畑に11,000本の松明を掲げた風景は圧巻。北九州から見に来たといわれるご婦人もいらっしゃいました。

16時から歌、太鼓演奏、少林寺拳法演武などが始まり、18時から松明点火。このイベントは19時過ぎに途中で帰ってしまったのでわかりませんが、それまでにこの祭りの意味の説明や島津豊久公を顕彰するものなどは会場にありませんでした。

豊久公の父、家久公もまたこの永吉近くの「梅天寺跡」に墓地がありますので、この祭りでぜひ親子の顕彰をしていただきたいです。

<後日談>

やはりこの日、この祭りの意味をアナウンスすることなく祭りは進行したらしいです。地元の方に私からの強い要望をお伝えしました。パネルを常設展示していただいたり、銅像建立していただいたり、何らかの形で後世に伝えていただきたいです。

また、こちらの祭りのファイナルでは、吹上青松太鼓に合わせて花火が打ち上げられた様子。すごくきれいだったということです。来年はできれば最後まで参加して見届けたいと思います。

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john96pierre at 01:49|PermalinkComments(1)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

2007年09月20日

富隈城跡(霧島市・隼人町)

aea4f953.JPG17ae77a5.JPG164d15dd.JPGこちらは島津義久により築城され、義久自身豊臣秀吉による島津征伐後の隠居生活を10年ほどすごした、富隈城跡です。

 

 

d16013be.JPGd145c4ac.JPGまた、関ヶ原の戦いの島津義弘による敵中突破後こちらに立ち寄って義久と面会した場所でもあります。

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富隈小学校近くにあり、小高い丘になっていますので見晴らしがすばらしいです。国分







john96pierre at 19:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote
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