戦国武将ゆかりの旅
2013年12月09日
【戦国島津】敗走記 1
Facebookで紹介されていました。まだ手にとってはいないのですが、どうやら桐野作人著「島津の退き口」を参考に実際に歩いた紀行漫画だということです。
南日本新聞の書評でも好評だったようで、関ヶ原での終盤戦、「島津の退き口」を追体験できる作品だそうです。
イブニングというビッグタイトルの漫画雑誌で取り上げられているということも驚きです。
平野耕太「ドリフターズ」は島津豊久主人公だったりしますし、まだまだメジャー化は道のりは長いけれど知名度は徐々に上がってきている印象です。
奇しくも、今年は薩摩ISHIN祭は第五回目であり、記念イベントとして「敵中突破ISHINウォーク」が行われ、こちらもスタッフが完歩しております。
動画のまとめブログもありますので、そちらでも追体験ができると思いますので、ご覧ください!
敵中突破ISHINウォーク YOUTUBEまとめブログ
☞☞☞http://ishinwalk.blog.jp/
2013年12月02日
【戦国島津】熊本おもてなし武将隊〜虎視眈々〜島津義弘
名古屋城おもてなし武将隊は有名ですが、熊本城にも熊本城おもてなし武将隊がいたことは知りませんでした。
その中に、こちらのブログでおなじみの島津義弘公もいました!
姶良市で行われたイベントにも来られていたそうです。
http://s.ameblo.jp/kumamoto-bushoutai/entry-11715912720.html
熊本城おもてなし武将隊公式Facebookページ
https://www.facebook.com/pages/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%9F%8E%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%97%E6%AD%A6%E5%B0%86%E9%9A%8A/431651183529246
熊本城おもてなし武将隊公式HP
http://kumamoto-bushoutai.com/
熊本城おもてなし武将隊アメブロ
http://ameblo.jp/kumamoto-bushoutai/
熊本城おもてなし武将隊公式Twitter
https://mobile.twitter.com/kumajyobushotai
熊本城おもてなし武将隊 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%97%E6%AD%A6%E5%B0%86%E9%9A%8A
youtube
http://www.youtube.com/watch?v=hpv6XdVe9oA
2009年06月27日
【戦国島津】後藤塚
義弘公薨去の後、仲間と殉死する約束をしていましたが遅れてしまい、ここで自決したといいます。
墓石が三つに割れています。
死んだ後、主君と仲間たちに追いつくことができれば、三つに割れるだろうといい残して切腹したと伝わります。
地図はココ↓
駐車場はありませんので、ブックオフで買い物ついでにお立ち寄りください♪
2009年06月04日
【戦国】府内城跡
宮崎の延岡駅そばで宿泊し、翌朝向かった先は府内城跡。別府市には何度も行ったことがありましたが、大分市入りは初体験でした。
以下、銅像大好き!より引用。
写真は「大友宗麟です。ここのそばに、大友氏館跡という場所がありましたが、小高い場所で現在は住宅地が密集している場所です。 大友宗麟が府内城を築城したわけではないようです。
居城にはしていたようです。
府内城についてはコチラがわかりやすいです。 戸次川合戦で島津軍が大友勢を破ったあと、島津家久はこの府内城で数ヶ月滞在しているようです。
そのときは、島津軍の乱暴狼藉がひどかったとか。耳が痛いですが、島津軍が強大になっていて、いろんな国が軍門に下ってましたから。。。 統率がとれなかったようです。その後、豊臣軍の物量に勝る強大な軍に押され、ここを後にしたようです。
府内城を3Dで再現しているサイトを発見
府内城 - Wikipedia」
場所はコチラ↓
2008年11月15日
2008年10月29日
2008年09月14日
【展覧会】黒田長政と二十四騎展
福岡市博物館で9/12から開催中。 西鉄天神駅からバスに乗り込めば、ほとんど歩かずに到着!
黒田如水・長政と家臣団の絵画、資料が満載です。200点近くあり、じっくり見ていたらあっという間に時間が過ぎていきました♪質・量ともにかなりレベルが高いです。
黒田如水の兜は赤いお椀を引っくり返したような、なんかコミカルな作りです。秀吉が「自分亡き後、天下をとるのは黒田官兵衛だ」と言うほどの実力者だから、この兜をみて恐れられたとか。
今回の一番見たかった大阪夏の陣の屏風はありませんでしたが、「黒田節」で歌われた母里太兵衛の肖像画、甲冑、そして名槍「日本号」が間近で見られたのは感激でした! この「日本号」は元は、秀吉から福島正則に与えられたもので、刃の部分だけで70センチを超えるもので大柄です。柄の部分も貝細工が施され、美しい!これが入り口近くにいきなり展示されていて、ハートを鷲掴みされました!一見の価値ありです。
福島正則から大きな杯になみなみと酒を注がれ、飲み干したら「日本号」を与えると言われ、見事飲みとったというのがあの歌です。
黒田長政の関ヶ原でかぶっていたというあの兜。源平合戦で源義経が一の谷で見せた崖を駆け下り、平家を奇襲した逸話からきていることは知ってました。なにせあの巨大な飾り、さぞかし重たかっただろうに…と思っていたら、桧(ひのき)でできているらしい〜。おまけに元々は、竹中半兵衛から譲り受けたものだとか。
黒田長政の家臣団24名の絵にもドラマがありました。江戸時代、先祖を顕彰しようという動きがあったらしく、それが徐々に神格化されていきます。 語り継がれていくうちに、正しくない表現がされたので、子孫から資料を集めたり、伝説を検証しながら忠実な絵に仕上げたそうです。
あまりによかったので図録まで買ってしまいました。 福岡に来ることがあれば、【戦国島津シリーズ】の次は【黒田長政と二十四騎シリーズ】で散策したいです。