日露戦争ゆかりの地

2013年12月05日

【日露戦争】12/5 二百三高地陥落の日

「日露戦争で乃木希典大将率いる第三軍が旅順の要塞地・二〇三高地を占領」 http://www.nnh.to/12/05.html Wikipedia 旅順攻囲戦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E9%A0%86%E6%94%BB%E5%9B%B2%E6%88%A6 本日は1904年、乃木三軍が二百三高地占領した日らしいです。

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2008年12月27日

【目次】日露戦争ゆかりの地めぐりの旅シリーズ

こちらでは、日露戦争を舞台に活躍した人物、関連史跡などを紹介します。

【銅像】

乃木希典・静子夫妻(山口・乃木神社)

東郷平八郎(神奈川・三笠公園)

東郷平八郎(鹿児島・多賀山公園)

小村寿太郎(宮崎県日南市飫肥)

大山巌(東京都・靖国神社周辺)

【史跡】

旅順・大連編

東郷平八郎生誕地(鹿児島市・中央高校敷地内)

東郷神社(東京都世田谷区)

東郷平八郎墓地(鹿児島・多賀山公園)

小村寿太郎記念館(宮崎県日南市飫肥)

小村寿太郎生誕地(宮崎県日南市飫肥)



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2008年12月21日

【日露戦争】小村寿太郎生誕地

57d9a84d.jpgeb7172d2.jpg日露戦争の講和条約を締結させた外交官、小村寿太郎の生誕地です。

東京大学第1期生であり、さらにハーバード大学を卒業したというぐらいの超エリート。

すごすぎです。

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東郷平八郎の揮毫です。こんなところで出会えるとは。

c2a77191.jpge96d33b6.jpg日本地図を作成した伊能忠敬が飫肥にきたときは、この小村家で天体観測をしたそうです。

689b3df4.jpg95be11bb.jpg近くの水路には鯉が泳いでました。動きが早くて、ぼやけてしまった。
カゴシマニア




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【日露戦争】小村寿太郎記念館

fa920731.jpg2b54e8e4.jpg飫肥城近くの伊東家住宅の敷地内に、小村寿太郎を顕彰する「国際交流センター 小村記念館」があります。

こちらには小村寿太郎の生い立ちから、日露戦争の最終幕である「ポーツマス条約」についての学習ができます。

とてもわかりやすいです。
「ポーツマス、ポーツマス」で聞いたことはあるけど、何それ?という方でも大丈夫。

DVDを見る時間がもう少しあれば。。。また小村寿太郎を訪ねる旅でゆっくり見て回りたいと思います。

小村寿太郎の胸像もゲットできてラッキー!

カゴシマニア




john96pierre at 20:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

2008年09月07日

【日露戦争】東郷平八郎墓地

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多賀山にある東郷平八郎銅像の写真を撮りにきて以来、久々にやってきました。 東郷平八郎の墓(遺髪塔)の写真を撮ってなかったので。

e23baf43.JPG東郷神社があると思いこんでいました。あるのは多賀神社だそうです。 錦江湾が眼下に広がってました。

西南戦争の終盤では山県有朋が陣を張った場所らしいです。



john96pierre at 19:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

2007年11月16日

【日露戦争】東郷神社(東京都・世田谷区)

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日露戦争の日本海海戦でロシア軍のバルチック艦隊を全滅させた東郷平八郎を軍神として祀っています。 本人は神として崇められることを拒んだそうですが、死後建設されたそうです。

東郷平八郎生誕160周年らしく、11/20-23には展示会もこちらであるようです。こちらの鳥居ができる以前、初代は魚雷で作られていたそうです。見てみたかった。

イラストで東郷平八郎一代記がありました。また、社務所には鹿児島市の多賀山公園にある縮小モデルの銅像もありました。

またニミッツからの手紙や肖像画なども。留学時代は「お洒落な中国人」とあちらで呼ばれるほどのお洒落さんだったようです。なかなかのヨカニセでした(^-^)/ ミラクルステッカーという交通安全の御守りが無料配布されてました!気前がいい(^-^)/ さすがは薩摩隼人!


8a810d14.JPG6f98b910.JPG429c061f.JPG

三笠由来の品物は見つけられませんでした。何かあった気もするのですが…

勝守を買いました。それについては後ほど…

カゴシマニア



john96pierre at 17:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

2007年10月29日

東郷平八郎生誕地(鹿児島市・中央高校敷地内)

dc1f76cc.JPG鹿児島市立中央高校の敷地内にあります。ローソンとの細い路地沿いに60m歩いた場所にあります。

日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を全滅させた名将で、「東洋のネルソン」と呼ばれてます。加治屋町には多数の偉人が輩出されてます。


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2006年10月28日

日露戦争ゆかりの地めぐりの旅〜旅順編〜


ホテル → 東鶏冠山 → 203高地 → 食事 → 水師営 → 星海公園 →ロシア人街 → 大連市内観光 → 大連港 → 土産屋 → 解散

大連市内

大連市内。北京と比べて、中古車や自転車が多い。

 

 

 

東鶏冠山へ>
朝食後、まず向かった先は旅順にある東鶏冠山。ここはかつて日露戦争の際に激戦地となった場所です。
旅順港は三方を山に囲まれ、入り江は約270m程度の狭い入り口。山東省からやってきて、満州に入る旅の道順の入り口だから旅順と名づけられたそうです。
ここは冬でも凍らない、不凍港であったため日露戦争当時はロシア軍の太平洋艦隊が停泊していました。
その軍港を取り巻くようにして作られたのが、旅順要塞です。

東鶏冠山方面から旅順・203高地を眺める

日本軍進軍・爆破口正面から見る東鶏冠山

左)旅順港と東鶏冠山の位置関係

右)日本軍の進行方向から眺める東鶏冠山北堡塁

 

旅順要塞は当時の最新技術をふんだんに取り入れていました。山という山の山頂に堡塁を築き、コンクリート製のぶあつい壁でつくり、当時開発されて間もない機関銃が多数配置された要塞でした。
実物を見ましたが、厚さ90cmはあろうかというほどの分厚い壁でした。ロシア軍は「永久堡塁」と豪語するほど、絶対に陥落しないという自信があったようです。

この要塞の一部であるのが、東鶏冠山という山でした。ここに日本軍が何度となく突撃を敢行しましたが、全滅してしまいます。ついに
突撃での陥落はできませんでしたが、かつての要塞攻略に用いられた「正攻法」と呼ばれる方法で攻めます。これは敵地深く、土を掘り進み、敵の陣地の真下で爆破するという方法。
この東鶏冠山北堡塁で数箇所、日本軍による爆破によって形勢逆転しついに攻略しました。

東鶏冠山案内板

東鶏冠山_日露戦争陳列館_旅順口区国防教育基地看板遺跡としては、当時の日本軍爆破跡、ロシア兵宿舎、銃眼、トーチカ、コントラチェンコ少将戦士の地など保存されていました。ここにはちょっとした展示室があり、28cm砲の実物の砲弾、榴散弾などありました。
28cm砲弾は直径28cm、271kgもの重さがあります。これは当時東京湾周辺の防備のために設置されていた砲台から発射されるものです。敵艦を沈没させるために作られた砲ですのでその当時最強の火力がありました。
度重なる突撃で弾薬が切れており、また通常兵器では歯が立たない要塞でしたので火力の強いこの砲弾に賭けるしかなかったという苦肉の策でもありました。それだけの火力ですので、設置するにもコンクリートで固定する必要があったのですが、硬い材木を使うなどして工夫して工期を短くすることができたようです。

暗堡02

暗堡01

暗堡:分厚い壁に囲まれた地下シェルター。

 

 

堡塁銃眼

堡塁銃眼02

東鶏冠山北堡塁全景進行方向から日本軍が攻撃してきました。壁を乗り越えてきたところを、銃眼から機関銃で狙い撃ちをしたそうです。堡塁が道なりに続きます。この道は凹道になっており、一度落ちたら数mはある壁をよじ登ることになり、逃げようとしても機関銃で蜂の巣にされてしまいます。。。

日軍爆破口

日軍爆破口02

日本軍が地下トンネルを掘り進み、爆破。203高地を奪取した後のことです。

 

 

ロシア軍宿舎

厚くコンクリートで覆われた堡塁はこのようなトンネル状になってました。ここはロシア軍兵士たちが寝泊りする宿舎だそうです。

 

 

 

北堡塁

北堡塁全景

電話室や包帯所などもありました。

 

 

 

東鶏冠山記念碑04

東鶏冠山記念碑02

東鶏冠山記念碑03

記念碑の説明にはあくまでも日本軍の侵略に対して痛烈な批判が込められています。

 

ロシア軍機銃

ロシア軍機銃02

ロシア軍が備え付けた機関銃を再現。左のほうには28cm砲と思しき砲弾が。

 

 

<天下分け目の天王山、「203高地」>
次に向かった先は203高地。さだまさしの悲壮感漂う、「山は死にますか〜♪」という歌がなんともいえない映画203高地でも描かれた場所です。
海抜203mだったことから、203高地と名づけられました。この地をめぐる攻防戦が実に100日以上も続き、最大の激戦地でした。

なぜここを攻めたかというと、ヾ度となく繰り返された正面攻撃でも旅順要塞が陥落しなかったため、堡塁が築かれていなかったこの地を選んだためです。そして、見晴らしがよく旅順港に停泊していたロシア艦隊を効率よく砲撃できるため。実際、軍艦らしきものが停泊していました。肉眼でもはっきりと分かりました。28cm砲の射程距離であったこと、
こし海僚山真之から早期に203高地を攻略し、そこに28cm砲台を築き旅順港に停泊している太平洋艦隊を全滅させるという策を提案されていたからです。太平洋艦隊は強固な要塞に守られた旅順港に引きこもっておりました。
バルト海に停泊していた、ロシア最強のバルチック艦隊が応援に動き出していたため、これらが合流してしまったら日本連合艦隊の勝利は不可能となってしまうからです。
そういうわけでバルチック艦隊が到着する前に太平洋艦隊を全滅する必要がありました。

203高地

203高地_籠人足当時の203高地はハゲ山だったそうですが、現在は松が植えられており、急峻な坂道でした。
足腰の弱い方にはカゴがあります。チップ代込み往復120元でした。

203高地頂上付近

203高地頂上付近02

203高地説明版

 

 

 

爾霊山慰霊塔

 

頂上には爾霊山という砲弾の形をした慰霊塔があります。第三軍を率いていた乃木希典が名づけた塔で、「爾(あなたたちの)霊(が眠る)山」という意味です。

 

203高地と旅順港2

203高地から眺める旅順港こういう位置関係になります。

 

 

 

203高地に備え付けられたロシア砲

203高地に備え付けられたロシア砲02

203高地から眺める旅順港02

28cm砲もこのように備え付けて旅順港に停泊する戦艦を砲撃しました。

 

203高地から眺める白玉山塔

白玉山塔

旅順港を眺めて左側には乃木将軍が故郷山口から資材を運ばせて建設させた白玉山塔が聳え立ちます。

 

老虎○山案内203高地を下ってくる途中、見つけた説明版。老虎○山と呼ばれる、203高地東側に位置する重要な防衛線だったと書いてあります。

 

乃木保典戦死地標識乃木保典戦死地方面実際、乃木大将の息子保典も203高地に倒れ眠っています。今回は時間がなくて看板だけしか見つけられませんでした。。。

 

<食事へ>
次に向かったのが水師営隣にある、食堂でした。ここでも中華。
もう毎日中華が続いてくると、野菜しか食べる気力がなくなってました。。。本当はおいしいんですけど、贅沢な話、見るのもいやになるぐらいでした。
取材のためにビールも控えてましたし。。。それにしても。最近のご老人はよく食べる。。。

水師営昼食

水師営付近農家

近くにある食堂と農家。水師営がなければ、まず観光客は来ることはない貧しい農村だったでしょう。。。

 

 

水師営へ>
食事が済んだあと、先ほどから気になっていた水師営へ。
ここは旅順要塞陥落後、乃木大将とロシア軍のステッセル中将が会見した場所です。

水師営水師営02水師営03

 

 

 

水師営08

水師営09

 

会見場所で使われた机は、けが人のオペ台だったとのこと。実物がまだ残されておりました。

 

水師営07


棗の木の下で、敗軍の将が帯刀を許されて集合写真を撮ったのはあまりにも有名。このとき、ステッセルから贈られた愛馬も唱歌で有名です。

 

 


もともとは農民の家だったのですが、その後包帯所(野戦病院)となりました。

水師営04

水師営05

水師営06

 

 

 

戦前、水師営会見所の碑は記念撮影をした場所に置かれていたようですが、現在は奥のほうに立てかけられていました。

<旅順との別れ>
私はまだまだ、日露戦争ゆかりの地を回れると思っていたのですが、実はこの旅順周辺は現在も軍港のため、一部しか公開開放されていません。
旅順要塞をこの足で立ってみたかったのですが、それはかなわぬ夢でした。今後も一般の人は立ち寄れませんので、残念です。
まだ見られる場所は多数あると思いますが、今回は3箇所だけでした。

【万里の長城と名月 北京・大連5日間】 4日目 大連編



john96pierre at 11:20|PermalinkComments(1)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

2006年10月25日

衛星写真で見る旅順観光地

<旅順・大連位置>

旅順港位置

旅順・大連位置関係

こうやってみると、近いようですが実際は大連と旅順は高速道路で1時間ほどかかります。

 

 

<旅順周辺観光地図>

旅順周辺地図

東鶏冠山方面から旅順・203高地を眺める水師営は街中にあり、見つけきれませんでしたが中央部にある川を上流に上ったところあたりにあるようです。

 

 

 

<東鶏冠山北堡塁>

東鶏冠山

東鶏冠山俯瞰図

東鶏冠山案内板

 

 

 

黄色い円の近くに「和平」とある植え込みで、ここが東鶏冠山であることが判明しました。まさかこんなもので、特定できるとは。当日、「あw和平って書いてある」なんて眺めていたのですが、役に立ちました。

日本軍進軍・爆破口正面から見る東鶏冠山

日本軍が侵攻した北堡塁方面から眺めるとこうなります。こちらのほうから地下トンネルを掘り進め、爆破しました。

真ん中の白い四角形が東鶏冠山にある記念碑です。

 

<203高地>

203高地と旅順港203高地と旅順港2

203高地から旅順港がどうやって見えるのかを再現してみました。こうやってみると、旅順港に停泊していたであろう太平洋艦隊が目前に見えたことが想像できます。ここから旅順港まで直線距離で6〜7km、28センチ砲の射程距離は7〜8kmですので、砲撃するには十分の距離でした。203高地を攻略するときも味方が上っていく途中、援護射撃でドカンドカン28センチ砲を撃ちまくったので多くの犠牲者が出たようです。



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