西郷隆盛ゆかりの地

2010年09月22日

【西南戦争】西郷野屋敷跡

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fba2f8d3.jpg鹿児島市内に西郷団地がありますが、なぜ西郷団地と名がつくのか知りませんでした。たまたま看板を見たので、上がって見たらありました。

鹿児島実業高校の目の前です。征韓論で敗れたあと、住んでいた場所で、妻のいとさんが西郷隆盛の死を聞いた場所でもあるそうです. 



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意外に狭い印象でした。黒アゲハが羽を休めてました。

ドロップされたピン



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john96pierre at 23:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年08月07日

【西南戦争】桐野利秋田蘆及開墾地跡

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ed5badcc.jpg桐野利秋田蘆及開墾地跡











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映画「半次郎」は、幕末、人斬り半次郎として恐れられた中村半次郎(のちの桐野利秋)を描いたもので、2010年5月に公開予定です。

蒲生に行くことがあって、撮影できました。後日、アクセスが分かりにくかったので改めて動画で紹介してます。

西郷隆盛の遣韓論での一件で薩摩に帰国後、桐野利秋は吉野の地で田畑を耕してます。










↓この地図の中心部が案内板の位置になるかと思います(推定地)。 







動画でチェック⇒


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john96pierre at 16:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年06月04日

【戦国島津】耳川古戦場跡

耳川古戦場1耳川古戦場2耳川古戦場3















こちらは高城川合戦直後に総崩れとなった大友勢を追い詰めた耳川です。
高城川より北に約30kmほど離れていますが、ここまで続く道は大友軍の死体が続いていたといいます。

車で走ってみて、30kmはかなり遠く感じました。
川の南岸までしか島津勢は追いかけてこなかったそうです。
ということで島津方から見た耳川(南岸側より望む)。

鉄橋があり、美々津トンネルもあります。
鉄道ファンにとってもベストショットが撮れそうなロケーションです。

西南ノ役でもここは官軍との激戦地となったそうです。
このときは薩軍劣勢となって、美々津も占領されてしまったそうです。
鉄橋の右側に、西南ノ役の史跡と書いてありそうな看板を発見しました。
これがなければ西南ノ役で耳川の戦いがあったとは知らずに終わってしまったことでしょう。



耳川古戦場4耳川古戦場5


耳川を渡ってみました。
大友方の側から耳川を眺めます(北岸より望む)
















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john96pierre at 15:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年01月11日

【維新】明治天皇行幸所船形壺場


5e65f4e1.jpg6de4f28f.jpg年末、MBCの深夜番組「mixx」内で偉人オセロというコーナーがありました。

これは50音順に鹿児島の偉人や史跡をあてはめて、2チームに別れて訪ねたところをオセロのように陣地を広げるというゲーム。 「ぬ」だけが埋まらなかったらしいです。私の師匠(勝手にそう言ってます)、かごしま探検の会の東川隆太郎さんが作成したらしいです。







b5bf78a0.jpgその中であったコチラの史跡を見たさに、かごしま水族館に行きました 水族館の裏側にありました。

昔の船着き場だったらしいので、それらしきモノも見えました。

明治5年に桟橋になったそうです。明治天皇が明治維新後に久光を訪ねた頃でしょうか。

番組内では薩英戦争時に砲台もあった(新波止砲台)と言ってました。



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john96pierre at 14:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年12月07日

【銅像】大久保利通像(鹿児島市・高見橋)

大久保利通2大久保利通1鹿児島中央駅近くにある高見橋沿いにこの像は建っています。

今年は大久保利通没後130周年だったんですね。去年が西南戦争130周年記念かつ、西郷隆盛生誕180周年かつ没後130周年という年でしたので、私もいろいろイベントに参加しました。

それに比べると、「あw、そうだったな」と思ったのはつい最近。南日本新聞で連載をしていたのを知り思い出した程度です。

大久保利通3鹿児島に住んでいますと、どうしても「大久保は・・・」
という声を聞きながら育つせいもあり、あまりまだ好きになってません。

だから、その南日本新聞の連載にしても全くスクラップもしてないし、見てもいないのが現実。

ただコチラの作品は中村晋也巨匠による製作ですので、カメラに収めることに。







d48ec76d.jpg87ef85e5.jpg「為政清明」が大久保のモットーだったようです。

そしてこちらが、大久保利通像の「通」の字がずれているという証拠写真。

利がずれているようにもみえるんですが。。。

人としての「道」をはずしたととることもできるのが面白いですね。

台座が高くしてあるのはいたずらされないようにするためだとも言われています。
さらに、先ほどでた連載にも銅像にちなんだ記事がありましたので載せておきます。




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john96pierre at 09:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年04月28日

【幕末】有村兄弟の母

64d1e86b.jpg昨日の九州歴史街道ものがたりより。

有村兄弟は幕末にいち早く勤王の志士として活躍した有村治左衛門と雄助が有名です。

長男:俊斎、次男:雄助、三男:有村治左衛門です。

有村治左衛門は、桜田門外の変では水戸浪士等の中でただ1人の薩摩藩出身であり、井伊直弼の首級を挙げた後、切腹。

戦場では一番槍が最も名誉あるものだそうです。関ヶ原での積年の恨みを果たしたということもあって、薩摩の人たちはどれほど狂喜したことでしょう。実際、治左衛門死後も評判がよかったらしいです。

雄助は京都にいて、やはり勤王の活動をしており、藩命により切腹。

俊斎は後の海江田信義で、久光側近です。

有村兄弟の母は幕末の倒幕運動の先駆けとなった桜田門外の変前後で二人亡くしています。その心境がよくでているものが残されていました。

母の「雄雄しくも 君に仕うるもののふの
母てふものは
あはれなりけり」という歌が印象的です。

昨年の黎明館であった展示会でも実物の手紙を展示してありました。

大河ドラマの篤姫でどこまで描かれるか楽しみです。

写真は桜田門外の変で暗殺された井伊直弼。


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john96pierre at 13:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年04月02日

【篤姫】西郷どんの宿(霧島市・日当山)

8e961455.JPGcb68d7b0.JPGこちらは明治維新後、西郷隆盛が下野した頃によく狩りにきていた、日当山(ひなたやま)にある西郷どんの宿と呼ばれるものです。

506d105f.JPGc3a8a1a8.JPG囲炉裏を囲んで談話なんかもあり、活気に満ちていました。

この宿は今とは別の場所にあったものを移築したらしい。

日当山に来たときにたびたび利用したそうです。


dfa0ca65.JPG7dc88dce.JPG現在は目の前に蛭子神社があり、風情があります。今年の龍馬ハネムーンウォークで立ちよりました。






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john96pierre at 13:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年12月02日

【西南戦争】辺見十郎太の涙松記念碑(鹿児島・大口市市山川)

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薩摩の猛将、辺見十郎太が高熊山の闘いに敗れ、大口と菱刈の境にある市山川川に面する松林まで逃れ、男泣きに泣いたと云われのある場所です。国道268号沿いですから走っていてすぐわかりました。


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john96pierre at 18:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年10月29日

西郷隆盛誕生地(鹿児島市・維新ふるさと館そば)

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維新ふるさと館そばにあります。弟の従道の生誕地でもあり、従道の東京の別邸跡から運んだという石でつくったモニュメントもありました(二枚目写真)。


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john96pierre at 17:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年09月09日

【新名所】新・西郷隆盛像(鹿児島市・南洲神社)

8a57d0b0.jpg今朝の南日本新聞トップに、日置市日吉の西郷隆盛の曾孫の西郷隆文さんが陶器の西郷隆盛座像を作っているというニュースが!

今年は西郷隆盛生誕180年、西南戦争130年、西郷隆盛没後150年という節目の年です!

日置島津家墓地も日吉の南洲窯にあり、島津歳久墓地もあり、素晴らしい石階段・石造物満載の場所です。

焼くときに割れたときのことも考慮して三体造っていらっしゃるそうです。

完成したら12月に南洲神社に奉納されるそうです。写真が残っていないからご自分の姿をモデルにして造られたそうです。

南洲神社内にも張りぼての西郷隆盛像がありましたが、ようやく胸を張って紹介できるものができるようです。

南洲神社に村田新八らの銅像建立の話も持ち上がっているそうです。村田新八、桐野利秋、別府しん介、篠原国幹、辺見十郎太らの像を作ってほしいです。できれば中村シン也巨匠希望。


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john96pierre at 21:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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