戦国島津ゆかりの地

2009年06月04日

臼杵城跡

臼杵城跡1臼杵城跡2臼杵城跡3


















臼杵城跡4臼杵城跡7臼杵城跡6






臼杵城跡5











臼杵城跡8臼杵城跡9臼杵城跡10

















臼杵城跡11臼杵城跡12臼杵城跡13

















臼杵城跡14臼杵城跡15臼杵城跡16

















臼杵城跡19臼杵城跡18臼杵城跡17

















臼杵城跡20臼杵城跡22臼杵城跡23

















臼杵城跡24 
















地図はコチラ↓


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john96pierre at 22:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

【戦国島津】鶴賀城跡

鶴賀城跡鶴賀城跡2鶴賀城跡3

















鶴賀城跡4戸次川合戦概要

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john96pierre at 19:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

長曽我部信親と十河存保の墓

長曽我部信親・十河存保の墓入り口長曽我部信親・十河存保の墓入り口 バス停

















長曽我部信親の墓1長曽我部信親の墓2長曽我部信親の墓3

















長曽我部信親の墓5長曽我部信親の墓4

















征清記念碑長曽我部信親の墓6

















十河存保の墓4十河存保の墓2十河存保の墓1





















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john96pierre at 19:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

【戦国島津】戸次川古戦場跡

戸次川古戦場跡2戸次川古戦場跡1戸次川古戦場跡3



















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john96pierre at 19:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

ザビエル

銅像大好き!より転載。ザビエル 

フランシスコ・ザビエルです。大分市内の府内城跡に近い交差点で発見。遊歩公園の入り口です。

この遊歩公園は銅像の宝庫となっています。純日本人の銅像は滝廉太郎だけですが、大分発祥シリーズはボリューム満点です。 (*天草四郎もいました!)

この銅像と背景の世界地図の航路がセットになっています。ザビエルがキリスト教を伝えるために、400年以上も昔に航海してきたというのが凄い信念だったと思います。死ぬかもしれない危険な旅路だったはずですから。

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john96pierre at 19:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

【戦国】府内城跡

にちりんからの車窓府内城跡1府内城跡2

















府内城跡3宮崎の延岡駅そばで宿泊し、翌朝向かった先は府内城跡。別府市には何度も行ったことがありましたが、大分市入りは初体験でした。





以下、銅像大好き!より引用。府内城跡4 

写真は「大友宗麟です。ここのそばに、大友氏館跡という場所がありましたが、小高い場所で現在は住宅地が密集している場所です。 大友宗麟が府内城を築城したわけではないようです。

居城にはしていたようです。

府内城についてはコチラがわかりやすいです。 戸次川合戦で島津軍が大友勢を破ったあと、島津家久はこの府内城で数ヶ月滞在しているようです。

そのときは、島津軍の乱暴狼藉がひどかったとか。耳が痛いですが、島津軍が強大になっていて、いろんな国が軍門に下ってましたから。。。 統率がとれなかったようです。その後、豊臣軍の物量に勝る強大な軍に押され、ここを後にしたようです。

 府内城を3Dで再現しているサイトを発見

 府内城 - Wikipedia

場所はコチラ↓



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john96pierre at 18:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

【西南戦争】細島みなと資料館

細島みなと資料館1細島みなと資料館2細島みなと資料館3













こちらの資料館も実は絶対にはずせない場所でした。 もともとは高鍋屋という旅館を改築した資料館です。細島は天然の良港で、昔から多くの船が出入りしていたそうです。 なぜ良港なのかというと、入り江が狭く、さらに中に入ったところでももう一回狭くなっているため(ひょうたんの形が理想だそうです)、波がとても穏やかになるのだそうです。

龍馬から贈られた拳銃細島みなと資料館5bc796f2f.jpg

















細島みなと資料館6細島みなと資料館7  関ヶ原の戦いの敗戦で、西軍についていた島津義弘公は前代未聞の「敵中突破」で死に物狂いで鹿児島に向かっていました。 関ヶ原以外の場所でも東軍がいましたので、楽ではなかったようです。 海路を通ってたどり着いた先が、この細島だったようです。




また、西南の役でも官軍の仮本営が置かれるなど、軍事的にも重要な場所だったようです。 もう少し北上すれば、延岡です。延岡には可愛岳があります。ここからそう、遠くないです。

可愛岳で戦死した迫田鉄太郎少佐は、坂本龍馬と交流があったらしく、生前龍馬から譲り受けたというピストルも展示されてました。これはあまり知られていないようです。私もたまたま調べていたら見つけました。

来年の大河ドラマは龍馬伝ですから、来年の今頃はとてつもなく混んでいるかもしれません。 アニメ「MONSTER」ではピストル一丁あれば、町が全滅させることができたというエピソードがありましたが、この龍馬のピストルはピストル一丁で町おこしができるかもしれませんね。

地図は推定地です。



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john96pierre at 17:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

【戦国島津】耳川古戦場跡

耳川古戦場1耳川古戦場2耳川古戦場3















こちらは高城川合戦直後に総崩れとなった大友勢を追い詰めた耳川です。
高城川より北に約30kmほど離れていますが、ここまで続く道は大友軍の死体が続いていたといいます。

車で走ってみて、30kmはかなり遠く感じました。
川の南岸までしか島津勢は追いかけてこなかったそうです。
ということで島津方から見た耳川(南岸側より望む)。

鉄橋があり、美々津トンネルもあります。
鉄道ファンにとってもベストショットが撮れそうなロケーションです。

西南ノ役でもここは官軍との激戦地となったそうです。
このときは薩軍劣勢となって、美々津も占領されてしまったそうです。
鉄橋の右側に、西南ノ役の史跡と書いてありそうな看板を発見しました。
これがなければ西南ノ役で耳川の戦いがあったとは知らずに終わってしまったことでしょう。



耳川古戦場4耳川古戦場5


耳川を渡ってみました。
大友方の側から耳川を眺めます(北岸より望む)
















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john96pierre at 15:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年06月02日

【戦国島津】根白坂古戦場

根白坂古戦場2根白坂古戦場1
ここが戦の舞台になったのは、天正15(1587)年4月17日のこと。

島津軍の絶頂期である豊後侵攻の戸次川合戦後、豊臣軍の27万(30万とも)の軍が九州へ押し寄せてきます。

秀長の軍勢が日向方面へ侵攻してきたときに激突したのがここ。




根白坂古戦場3根白坂古戦場6
坂を上りきれば、たばこ畑が広がっていました。ゆるやかな大きいカーブです。台地のようになっているので、戦の時の要所でしょう。










島津と大友の戦いでは義久が陣を張ったようです。

島津と豊臣の両軍が陣をめぐって争った激戦地です。
また、島津と豊臣の戦いの場合は、宮部継潤という豊臣方の武将や少し離れたところには黒田孝高あたりが陣を張っていた様子。

対する島津軍は、義弘、家久、忠隣、伊集院忠棟、北郷一雲らの名前が見えます(高城戦記)。後方には義久の名前も。

 根白坂古戦場5 根白坂古戦場4
ここは、平野部分からずwっと坂を上りきった峠です。高城、平野、根白坂という配置になります。
ここを島津方が夜襲を仕掛けますが、 左図のように深い堀と柵が邪魔をして抜けることができません。

島津歳久の養子、島津忠隣は功をあせり、忠告に従わず突出しますが、敵の銃弾に倒れます。 

結局根白坂の夜襲は失敗し、結果的に豊臣方と和睦することになりました。山田有信が守る高城は落城することはなかったのですが、義久が和睦したので和睦することに。

この戦で死亡した忠隣の死が原因で、歳久は秀吉に反抗的な態度をとったとも言われています。忠隣の墓はコチラ




根白坂古戦場跡の推定地はコチラ。


カゴシマニア 

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john96pierre at 00:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

【戦国島津】椎木大師堂板碑


椎木大師堂板碑3椎木大師堂板碑1

木城町役場を背にして、出店交差点を過ぎてしばらくいくと右手に赤っぽいトタン小屋がみえてきます。

左の写真は、戸次川合戦で戦死した人たちの碑板です。










 
椎木大師堂板碑2
右手には六地蔵塔らしきものもありましたが、特に案内板がないため不明です。
推定地です。




 

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john96pierre at 00:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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