2007年01月28日

西南戦争ゆかりの地めぐりの旅 初日

【コース】
荒尾出発 → 親戚合流 → 横井小楠公園 → 横井小楠記念館・四時軒 → ジェーンズ邸(有栖川宮宿泊地・日本赤十字社発祥地)・夏目漱石旧宅 → 小泉八雲邸跡 → 紅蘭亭 →夏目漱石坪井旧宅跡 → 佐々友房生誕地(車窓)熊本城・加藤神社 → 解散・帰宅



≪ジェーンズ邸≫
ジェーンズ邸というのはあまりなじみがないかも知れませんん。こちらはキリスト教の先生だったジェーンズという外国人の方が宿にしていた場所です。

花岡山に仏舎利塔がありますが、彼の教え子らがそこでキリスト教の団体が終結したそうです。熊本バンド事件というらしいです。

熊本バンド事件後、この洋館から立ち去っていたがために、命が救われたそうです。神風連の乱が起こったときには、すでにここにいなかったので襲撃されずにすんだのだとか。

神風連の乱は、最右翼団体で攘夷の団体だったから、真っ先に狙われただろうとのことでした。

その後、西南戦争のときには有栖川宮の宿舎としており、佐野常民が両軍のケガ人を治療するために博愛社設立を願い出て、こちらで了解を得たのでここが、博愛社誕生の地となったようです。博愛社は後の日本赤十字の前身です。

もとは街中にあったそうですが、水前寺公園の一角に夏目漱石の第三の家とともに移設されています。

≪佐々友房生誕地≫
夏目漱石第五の家、坪井という知名にあるようですが。
その帰り道に佐々友房の生誕地という標識を発見。佐々友房といえば、地獄峠と称された吉次峠での戦いで有名です。後のセイセイ高という高校を造った人物です。

士族出身の熊本隊のメンバーでした。確かに熊本城のすぐそばにありました。

対する協同隊は身分の低い人が多かったそうです。

≪熊本城≫
熊本城は天下の名城です。石垣は美しいです。
西南戦争のときに天守閣は謎の炎上でなくなってしまいました。

しかし谷干城をはじめとする3000名もの熊本鎮台兵らは家族とともに籠城をし、田原坂の戦いで破った官軍の援軍によりかろうじて助かったようです。

天守閣1階には谷村計介銅像があります。体に塗炭をつけ、汚い襤褸をきて高瀬にあった官軍の本営に熊本城から脱出した後伝令の使命を果たした人物です。3度もとらえられ、逃げ、任務を果たしました。ゆっくり休むように上官から言われたそうですが、そのまま田原坂の第一線に攻め、三の坂であえなく戦死しています。烈士というにふさわしい人物です。

蛇足ですが、うちの娘の名前で壱萬円城主に申し込みました。誕生日付けで登録しました♪

john96pierre at 23:33│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote 西郷隆盛ゆかりの地 | 西南戦争ゆかりの地

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