2006年11月19日

戦国島津ゆかりの地めぐりの旅〜岩屋城合戦編〜

【コース】嫁御自宅→西鉄大牟田駅→西鉄二日市駅→トヨタレンタリース→九州歴史資料館→九州国立博物館(外観)→明光禅寺(紅葉)→太宰府天満宮→参道(梅ヶ枝餅)→宝満山・竃門神社(紅葉)→大宰府政庁跡→武藤資頼・資能の墓→高橋紹運墓・岩屋城跡(紅葉・展望) →レンタカー返却→二日市駅→大牟田駅→嫁御自宅

先週の日向は木崎原合戦に続いて、今回は太宰府は岩屋城合戦へと舞台を移し、戦国島津に思いを馳せる旅へとやってきました♪メジャーではないものの、島津の猛攻にひるむことなく最期まで闘い続けた高橋紹運の活躍は敵ながら天晴れな武将でした。「嗚呼壮烈岩屋城跡」の石碑をぜひカメラに収めたくてやってきました。

光明禅寺4太宰府天満宮5高橋紹運の墓2



 〈九州歴史資料館へ〉

だいたいの位置は把握していたのですが、細かい場所もいくつかあったので立ち寄ってみました。太宰府は菅原道真の観光に力を入れているので、島津について詳しいところがあればいいのですが…今後の課題です。学芸員さんにすぐに行けそうな場所をお聞きできたのでありがたかったです。 何よりもありがたかったのは駐車場・入館料がすべてタダ!ここは実は九州国立博物館と併設している感じですので歩いて五分弱でつきます。太宰府天満宮までも歩いて行けちゃいましので、知る人はこちらに置く人が多数いました。

 〈明光禅寺へ〉

光明禅寺3光明禅寺5太宰府天満宮に向かうときに「国博通り」という道を通りました。天満宮となりにある明光禅寺は紅葉のある庭として有名なようです。黒木瞳さんが「来てみてく太宰府!」とCMで言ってますがロケはここなのかな?京都みたいな庭が外から見えました。

〈太宰府天満宮へ〉

太宰府天満宮太宰府天満宮2太宰府天満宮3その後定番の太宰府天満宮。安産祈願と後輩の国家試験合格祈願をしてきました。菊祭りもあって梅の咲く時期とはまた一味違ってよかったです。黒田如水ゆかりのものを聞くのを忘れてしまいました…

太宰府天満宮4太宰府天満宮6

 

 

 

太宰府天満宮7太宰府天満宮8

左)幕末の七卿落ちしたメンバーのうち五卿がここにしばらくかくまわれていたようです。

右)東風吹かば〜の歌碑

 

〈宝満山・竃門神社〉

宝満山竈門神社竈門神社2修験道の山でもある宝満山は800mを越える山で、大宰府政庁跡の鬼門にあたるようです。 宝満山登山口も見えましたが時間の関係上断念。中腹には太平記の頃、足利尊氏や菊池武光ともゆかりのある「有智山城跡(うちやまじょう)」があるようですが今回は断念。竃門神社社務所にて史跡巡りコースの資料をいただいて行った気分になってこちらも終了。紅葉とお寺の本堂はよく似合います。 こちらは神道夢想流の杖道発祥地だそうです。夢想権之助神社も本堂左にありました。山伏の方にはお会いしませんでしたが、山伏が使っていた杖を武器に考案したであろうこの杖道というものを一度見てみたくなりました!

〈大宰府政庁跡〉

大宰府政庁跡大宰府政庁跡2菅原道真のころでしょうか、昔の知事みたいなものですかね 東大寺大仏殿くらいのスケールでした。いまは広場に礎石がたくさんありました。後ろには岩屋城のあった山が見えます。

〈武藤資頼・資能の墓〉

武藤墓武藤墓2武藤墓3武藤墓4

 

 

 

武藤墓5資頼は頼朝から鎮西奉行として任命されてこの地へ。息子資能は元冦の際の総司令官となり全軍を指揮したそうです。 時代は違いますが島津氏も源氏を祖先に持つとされていますのでこちらに採用としました。

 

 

〈高橋紹運の墓〉

 

高橋紹運の墓5

高橋紹運の墓

 

 

 

高橋紹運の墓4

高橋紹運の墓3

今回の目玉の一つです。岩屋城跡を目指して太宰府口から四王寺山を登っていくと左手に高橋紹運の墓という標識と石碑があります。大友宗鱗の家臣で五万の島津軍相手に700前後の兵を率いて半月に及ぶ籠城戦を繰り広げました。立花城、宝満山、岩屋城の3つの城に分散して島津軍の九州制覇を妨害するのがこの岩屋城合戦の目的でした。宝満山はこの周辺では高く険しい山で、岩屋城よりも守り易いので何度も宝満山に陣を移すことを進言されます。しかし紹運は分散することで一家の滅亡を避け、秀吉の援軍がくるまでの間、島津軍の侵攻を阻止することを主張します。島津軍からも何度も降伏するよう説得されますが、応じることなく徹底抗戦を通しました。最期は全員玉砕。紹運と運命を共にしました。戦国の世、裏切りが続き絶対の信頼をえることは容易ではなかったことでしょうが、心での結びつきが固く信頼が篤い紹運は武将としても人間としても立派な方だったかもしれません。享年39歳、岩屋城二ノ丸に眠る。高橋紹運と家臣団の墓の周りに秋の訪れを告げる紅葉が色づいていました。

〈岩屋城跡・本丸〉

岩屋城跡岩屋城跡2岩屋城跡3

 

 

 

 

岩屋城跡は高橋紹運の墓そばから上がれます。ここまで林道ですが片側一車線で問題なく普通車でも登れました。みかさ温泉を抜けたあたりから軽いだるさと軽い頭痛とプレッシャーが。そう、前回の木崎原古戦場跡に比べるとごくごくわずかですが感じました。こちらは手厚く葬られて、手入れもよくされていましたから供養されていたのでしょう。軽かったので気分も悪くならなかったです。潔く散った彼らはなんとなく爽やかさすら感じさせます。 階段を登ること数分。本で見た「嗚呼壮烈岩屋城跡」碑が。雨が降る中、太く荒削りなそれでいて悲壮感漂う文体で書かれた石碑だけが嘆いていました。ここからは太宰府を一望できる隠れ名所かも。宝満山だけが異様に背が飛び抜けてそびえています。この宝満山も岩屋城は確かに守りやすかっただろうなぁと思わせるほど急峻で険しい山でした。

〈今後の課題〉

今回は見つけられなかったのをいつかリベンジ。

1.四王寺山太宰府口城門「石こづんばば」:籠城する高橋紹運を攻める島津軍が地元の老婆を捉え、山に通ずる間道を吐かせ水を絶つことに成功。しかしその老婆は地元民によりリンチされ石で埋められてしまったらしい。

 2.四王寺山麓 坂本「引陣地蔵」:島津軍が高橋軍の猛攻に恐れをなし陣を一時引いたこともある激戦地に島津氏により建てられた地蔵。 これら二つはマップに載っていませんし、どこで見たか忘れました…学芸員の方もよくわからないとのことでした。

文化ふれあい館の方に問い合わせたら分かるかもしれないとのこと。 文化ふれあい館 092-928-0800 3.水の手砦(四王寺山山頂)の高橋紹運時世の碑



john96pierre at 00:37│Comments(1)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote 戦国島津ゆかりの地 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 美脚フェチ動画   2011年10月28日 01:00
5 ?U_AR:w#, gal.ex-navi.biz, 美脚フェチ動画, http://gal.ex-navi.biz/ashi/14.html

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

カウンター
Categories
スポンサードリンク
楽天で探す
楽天市場

Archives
livedoor 天気