2006年08月28日
西南戦争ゆかりの地めぐりの旅〜人吉・多良木編〜
今回は嫁のばあちゃんの家でBBQをするという企画の中でたまたま見つけた西南戦争史跡をいくつかご紹介したいと思います。
【1日目コース】
自宅 → 桜島パーキング → 人吉駅弁やまぐち → 人吉城跡 → 武家屋敷(西郷隆盛宿舎跡) → 永国寺(幽霊寺・薩軍本営跡) → 人吉クラフトパーク → 多良木ばあちゃん家 → ゆのまえ温泉 湯楽里
【人吉城跡】
人吉城跡も西南戦争の舞台になったのは知っていましたが、こちらから村山という場所を攻撃した砲台があったことを知りました。村山は球磨川を挟んで向かい側にあります。村山に官軍の陣があったそうです。攻撃して翌日すぐに鎮圧され、田代に敗走することになります。
【武家屋敷(西郷隆盛宿舎跡)】
人吉城跡と永国寺のほぼ中間に西郷隆盛がしばらく宿泊地として利用したとされる居宅がありました。入館料は300円らしいですが、あいにく昼食時とかさなりやってませんでした。人吉は米で作る、球磨焼酎が有名です。それを食材にした、焼酎アイスというものがあるようです。こちらも今回はお店が休みだったため、食べることはできませんでした。
【永国寺(幽霊寺・薩軍本営跡)】
球磨川の手前には、幽霊寺としても有名な「永国寺」があります。そちらは薩軍本営がしばらくありました。西郷隆盛が陣を構えていたらしく、石碑や隆盛書とされる掛け軸や砲弾、隆盛の位牌もありました。 →過去の人吉編参照
【2日目コース】
ゆのまえ温泉 湯楽里 → 近辺散歩 → 市房ダム → 水の上の市場 → 市房ダム周囲散策 → 湯前駅 → 百太郎堰(断念) → 多良木ばあちゃん家 → 丸目蔵人佐の墓 → 桜島パーキング → 自宅
丸目蔵人佐は、時代的には戦国時代です。 タイ捨流という名の剣術を考案した人物で、 「東の柳生、西の丸目」と評されるほどの剣豪でした。そのタイ捨流と天真正自顕流を極めた東郷重位が後に示現流と呼ばれる薩摩武士の流派を作り上げました。時代はずっと下って、幕末、薩摩の志士たちが剣術を実につけていましたがその多くは示現流でした。
直接西南戦争とは関係はありませんが、たどりたどっていくと丸目蔵人佐にたどり着くのでこちらに載せました。
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