2006年03月19日

西南戦争ゆかりの地めぐりの旅〜八代・人吉編〜

西南戦争ゆかりの地めぐりの旅〜八代・人吉編〜

予告では、天草方面に行く予定と書いたのですが、天草に渡る便数が少ないため(水俣→本渡間)計画変更しました。

自宅→鹿児島中央駅→(九州新幹線)→新八代駅(嫁と友人に合流)→萩原堤(宮崎八郎戦死の地)→八代IC→人吉IC→人吉→永国寺→球磨川下り予約センター(嫁と友人のみ参加)→青井阿蘇神社→昼食→わたり発船場(合流)→人吉城跡→人吉IC→鹿児島IC→自宅





今回は嫁と友人の運転手に徹していました。
人吉に行く前に、何箇所か史跡めぐり行ってもいいよ♪と史跡めぐりと言う名のエサにつられてご機嫌とられて、犬と化していました(^_^;)

じゃwどこに行こうかなwと、迷っているフリをしつつ(新幹線で移動中、行くところは絞ってました)、「じゃw、綺麗な川を見に行こう」とだけ伝え、もくもくと運転。

「本当はどこに行くの?」
としつこく聞くのですが渋っていると、「分からないまま行っても分からないまんまだから教えて」とダメ押し。

「じゃw言うけどさ、宮崎八郎が死んだところ。」
と言うと、本人も友人も(@_@;)という反応。
友人は知らなくても、仕方ないとして荒尾出身の嫁は知らないというのはおかしいんです。

というのも、宮崎八郎は荒尾出身の志士で熊本協同隊の幹部。その弟達も有名で特に孫文との交流が深く、中国建国の立役者でもある宮崎滔天(トウテン)は破天荒な人生で森重久弥が芝居で演じたほどでした。

中国で宮崎滔天と同じ故郷だと言っただけで、中国の人からはかなり大事にされるというぐらいです。

それはともかく、宮崎八郎はその長男でした。
ルソーの「民約論」に感銘を受けた八郎が植木学校という学校を作り、民権運動と軍事訓練を行うという学校をつくりました。半年ほどで時の県令により廃校になってしまいましたが、先見の明がありました。山鹿口の戦いでは、協同隊による合議制が一時あったほどで、それにより山鹿市内から少し離れた場所での戦闘になるよう努力したそうです。

西郷軍が田原坂で敗れた後、宮崎八郎らは辺見十郎らと行動をともにし八代での戦闘を行いました。その際、辺見十郎太の身代わりとなって討ち死にした場所と言うのが今回の萩原堤です。

八代萩原堤八代萩原堤2

 

 

 

 

 

八代萩原堤宮崎八郎戦死の地碑司馬遼太郎

八代萩原堤種田山頭火歌碑2

 

 

 

 

 

 

 

 

八代萩原堤種田山頭火歌碑

八代萩原堤種田山頭火歌碑

 

 

 

 

 



そこまでは説明しませんでした、あんまり聞く耳持たないもので。

その後、人吉入りした西郷軍が本陣を置いた場所と言うのが永国寺といい、幽霊の掛け軸があると言うので有名なお寺でもあります。西南戦争の前から人吉城自体は火事かなにかで焼失していたそうで、城が使えないから永国寺を使ったという説明書きがされていました。

人吉永国寺西郷隆盛書2人吉永国寺西郷隆盛書1

 

 

 

 

 

 



幽霊の掛け軸は、恨みをもったすごく美人だった女の人が寺の池にでたものをその当時の住職が書き写したのだそうです。そして、鬼の形相になったその絵を本人に見せ、「生前は美人だったのにあんたは今、こんなに恐ろしい顔をしているんだよ。」と住職が言うと成仏させて欲しいといったそうです。その後成仏して幽霊はでなくなったというお話。


西南戦争のときには偶然にも持ち出されていたので大丈夫だったそうです。人吉は戦場になったため、町が焼けてしまったそうです。

人吉永国寺幽霊の掛け軸

人吉永国寺幽霊の掛け軸幽霊が出た池

 

 

 

 

 

 

人吉永国寺西郷隆盛官軍アームストロング砲砲弾

永国寺のあと、嫁達は川下りにいきました。私も行きたかったのですが、川下りするのに不便なことに気づいたんです。
川下りをする場所に車を置いて、舟で90分下流のほうに向かいます。そして渡船着場という場所に到着した後、自分でタクシーで元の上流に戻らないといけないのだそうです。。。シャトルバスか何か帰るときのことまでフォローしてほしい。。。タクシー業者との癒着があるのかもしれません。

私はその間、青井阿蘇神社という司馬遼太郎氏も絶賛した楼門の有名な神社に行ってきました。御鎮座1200年とあるぐらいですのでかなり古いものです。現在残されている楼門や本殿は桃山時代というから500年弱のもの。鹿児島では悉く廃仏毀釈により破壊しつくしたため残されていないので、ちょっぴりジェラシー。うらやましかです。
それにしても、人吉周辺はわらぶき屋根の神社が多いです。多良木と言う場所にあるお寺もわらぶき屋根でした。なんだか古きよき時代がココ人吉には残されていてタイムスリップしてしまうほどの存在感です。

人吉青井阿蘇神社2

人吉青井阿蘇神社1

人吉青井阿蘇神社3

 

 

 

 

人吉青井阿蘇神社4人吉青井阿蘇神社5人吉青井阿蘇神社6

 

 

 

人吉青井阿蘇神社

 

 

 

 

人吉城跡人吉城跡2

人吉城跡3

 

 

 

 

また、丸目蔵人佐長恵と言う人の墓が近くにあることも判明。「東に柳生、西に丸目」と呼ばれたと言う超有名な剣術家だそうです。「タイ捨流」という流派の開祖だそうで、示現流開祖の東郷重位も関連していたような。

いずれまた来た時に行きたいです!



  • このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

トラックバックURL

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

twitter
スポンサードリンク
カウンター
Categories
楽天で探す
楽天市場

Archives
RSS